オッキー・ボーカルトレーニングスクールのオッキーこと
沖英美です。

ボイストレーナー歴24年、、、だと思ってたら
26年目になってました(´∀`; )

 

子供の頃から
歌うな、音痴、、、と言われた私が
なぜ、ボイストレーナーを26年もやってこれたのか。

小学二年生の頃
うちの父親が演歌が大好きで
その頃では珍しいカラオケセットを購入。

 

演歌ばっかりに近いカラオケセットの中から
聞きかじったことのある曲をえらんで
「ろくでなし」(シャンソン)
など、歌詞の意味もわからないまま歌っていました。

 

当時はカラオケ屋さんもなく
とっても目新しかったので
親戚が集まるたびにカラオケパーティー。

一つ年上の従姉妹も歌が大好きでよく一緒に歌ったものです。

 

従姉妹はお姉ちゃん的ん存在で
ピアノも上手だし、歌も上手。

 

学校でも人気者で
女子にも男子にもモテまくり。

 

私は、そんな従姉妹が大好きでした♡

 

が、、、、

ある時、従姉妹と一緒に歌って遊んでいると

 

「ひでみちゃん(私の名前)
音程外れてるから、一緒に歌わんといて」

 

と、痛烈な一言を
しれ~~~っと放たれました((((;゚Д゚)))))))

えっ?

何ですとっ?!

 

今まで我慢して一緒に歌ってくれてました?

 

子供ながらに、いろんな思いがかけめぐり

 

『私は音痴だったんだぁーーーーーーっ』(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

 

と認識したのです。

 

憧れの従姉妹の言葉に間違いはない!
私は音痴で、しかも気がつかないまま
ず~~~っと歌ってたんだ。。。

 

と、音程を外してるつもりがないのに
外してる事実に衝撃を受けたのです。

 

そんなことがあっても
やっぱり音楽や芸能系のことが大好きで

高校生の頃は演劇部に没頭し
仲良しの副部長だったお友達と
卒業してからなにしよか?

と、遊んでいるときに
ふと目についた楽器店のポスター

 

「ボーカル科」生徒募集

 

いろんな楽器のコースがあるなかで
迷ったあげく
「楽器は買ってしまったら飽きたときにもったいない。
とりあえず身一つでイケる歌にしよう」

 

と、即入会♡

楽しい仲間もできて
絶対に休むことなく通って
超楽しみな場所になりました。

 

カラオケボックスの普及で
いくら使ったかわからないほど、
土日を待ち焦がれて
カラオケボックスに入り浸りました。

 

といっても、1時間2000円とかするので
イントロは早送り、アウトロはカット
して、なるべくたくさんの曲を歌ってました。

 

ほんとに歌うのが大好きだったのです。

そんなこんなですが
ある大手の企業に就職がきまりました。

 

オッキー,OLになったのです。

 

人見知りオッキーは
必要最低限しか話すこともなく

小さ~くなって
何をすればいいんだろう?

と退屈なOL生活に入りました。

 

仕事らしい仕事もないし
同じフロアに同期が一人もいない。
先輩にはなしかけるのも怖い。。。

 

その頃は、同期の友達とカラオケに行くこと
そして、毎週のボーカルレッスンだけが楽しみでした。

そのうち、、、

 

趣味があっても
カラオケ行っても

 

ど~~~~~~~しても
毎日、毎日
お茶汲み、コピー
あとは時間つぶし、、、みたいなOLが嫌で嫌で仕方なくなりました。

両親にも嫌だ、嫌だと訴えましたが
かなりの大手だったので
私の訴えは聞き流されるだけ。

ある日、、、

 

どーーーーしても行きたくなくて
車のエンジンをかけたけど(車通勤)
発進できなくて

 

「嫌ならやめればいいじゃん」

という心の声に従うことにしました。

上司はみなさん親身な方ばかりだったので
色々とお話もしてくださり
高級なレストランにも連れて行ってくださったけど、、、

 

やっぱりやりたいことをやろう!!
と思い、やりたいことが明確にわからないまま
会社を退職しました。

餞別のお花を持って帰って来た私に
オカンは

「綺麗な花やなあ~♡どうしたん?」

 


「もらった」

オカン

「誰に」


「会社の人に」

オカン
「何で?」


「やめたから」

オカン
「。。(般若の形相)。。」
「あんた、勝手になにやってんの!!
カラオケ行こうが何習いに行こうが、会社行ってくれてるから
目をつぶってきたのに!!
相談もなしにetc….」

 

と、バトルがあり

結局やめたものは仕方がない。

 

毎日、オカンに睨みつけられ、罵声をあびつつも

何がやりたいかを考えようと思いながら
好きな歌の練習だけしていました。

 

半年間のプー太郎生活。
出かけるところは歌と、ピアノのレッスンだけ。

 

ヒマだから、毎日毎日、歌の練習をしていました。

そんなある日、先生が、、、
「英美ちゃん、私結婚するから
先生になって引き継ぎしてくれない?」

 

((((;゚Д゚)))))))?!

びっくり

私が講師ですと?
ありえへん。。。

と思いました。

先生は
「3ヶ月後に講師試験あるから試しに受けてみて。
どんなもんか見て来たらええから。来年も試験はあるし。」

と、提案してくださったので
恐る恐るチャレンジすることにしました。

先生から紹介状を書いてもらって
プロコースの門を叩くことになりました。

滋賀県の田舎から大阪の難波まで
2時間くらいかけて30分のレッスンに毎週通いました。

電車で寝たら、声が出なくなるから
座らずに立って、ドアのそばで鼻歌を歌いながら
今日も声が出ますように。。。と祈るようにして通ってました。

 

どんな受験勉強より、勉強する日々。

楽典も歌もピアノも。。。

 

家族に隠れてこ~~~っそり練習し、隠れて勉強しました。

 

そして、試験当日。。。

 

まさかの大雪(T . T)
駅まで自力で行こうとするも、絶対無理。

父が
「どこ行くの?」

と聞くので
しぶしぶ、今日はYAMAHAの試験なんだと告白。

オカン
「なんの?ピアノの先生か?」(少しにこやか)


「ボーカル、歌の先生」

オカン
「あんたなんかに無理やろ、あんたに教えられる人可哀想」(般若の形相)

 

まあ、言いたい放題言われましたが
這ってでも行くという頑固さに
父が折れてくれて

「車に乗れ」

と、駅まで送ってくれたのです。

 

一年後の試験を本番にして、今日は見聞を広げるつもり、、が
両親に見つかってしまったので

 

「受からなければ家に帰れない」

と、ものすごいプレッシャーで、、、

何をやってるんだかわからないまま、試験は進み
あっという間に終わりました。。。

帰り、燃え尽きたら
急に悪寒と吐き気で
心斎橋の駅におりてトイレに駆け込み
そのあとは意識朦朧としながら帰ったのを覚えています。

 

後日
40人くらい受験したなかで4人だけ合格
なんと!
その中に私が入っていたのです!!

奇跡でしかありません。

だけど
嬉しい反面
やってしまった、、、

なんかえらい道に進んでしまうんちゃうやろか?
とドキドキしながら

「流れにのるしかないかぁーーーーーーーっ!!」

と進み出したのです。

 

合格したと先生に報告したら
「おめでとう。だけど、まだ先生として1番レベルが低いと思うから頑張らないとね」
と激励をうけ、そのまま受験勉強の続きのような日々が続きました。

 

当時24歳

 

その後、YAMAHAの講師
インディーズレーベルの講師の仕事
高校の軽音楽部のボイトレ
高校の非常勤講師
など、30歳頃には
随分とお仕事をいただけるようになりました。

 

しかし
仕事が増えると
喉の疲労が溜まって
ポリープができてしまうなど
トラブルが起こるようになったのです。

 

大阪でメジャーアーティストさんも頼って来られるほど有名な
耳鼻科で音声に特化した先生がおられます。

そこに通うようになりました。

 

先生
「仕事の時間は?」

「10時から遅い時は23時まで」

先生
「睡眠時間は?」


「4~5時間?」

先生
「そんな!あなた、それでは35歳までに声出なくなるよ!!」

 

と叱られましたが、、、

受けた仕事は全力で。

 

止まるわけにも、辞めるわけにもいきません。

そうこうしてるうちに
どんどん仕事が増えるのです。

メジャーアーティストさんの事務所からのご依頼
avexアーティストアカデミーの講師

家にいるのが睡眠時間込みで5時間くらい
年間の休みは7日
そんな日々になりました。

喉の疲労は重なり、薬漬けの毎日でしたが
疑問が出たのです。

 

「なぜ、歌う時は声がかすれにくいのに、喋るのはこんなにかすれて辛いのだろう」

 

人気ラジオのDJは全然声を枯らさないで
ず~~~っと話してるのにどうして?

そこで、当時一緒に仕事をしていたディレクターに相談したら
発声のクセと発音のクセについて指摘されました。

そこからです。

 

母音の発音と、発声(呼気の通り道の整理など)を
改めたら、、、

劇的に声枯れ、疲労が軽減されました。

 

すでに、ハスキー気味になってしまった声ですが
その母音発声を改善してからは
ポリープもできず、通院すらしなくてよくなりました。

今では
私の歌を聞きたくない!と言った母が
「へ~ええ声やん、昔と全然違うなあ、、、」
と私の歌を聴いて呟きます。

 

下手くそだったから
喉が辛くてカスカスの声になったから

今の私がいます。

 

私は天才肌のトレーナーではありません。

めっちゃ普通、むしろド下手から
歌が好きだったから
諦められなかった
のでここまでやってきました。

「感情を込めて」と言われても声を張り上げるしかできない、、、
「こんなふうに歌うんだよ」と上手なお手本見せられても真似できない、、、

才能がないと言われた私だからこそ

徹底的に
『カラダのコントロール』
で、いけるとこまでいってやろう!!

そう思ってやってきました。

その結果
ちゃんとコントロール方法を知れば誰でもできるんだ!
とわかったのです。

それが
『コントロール・ボイス』の始まりです。

だから

 

だれでも
快適に
楽しく
歌う
声をだす
ことができるということをお伝えしたい!!

 

私の歌がどんだけ下手だったのかは、うちのオカンが証明します(笑)

ほんとに
私にできたんだから
みなさんできる!!

これが私が講師になり現在に至ったお話です。